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【 鉄路を守る武骨な番人 】 1940年6月、フランスを占領したドイツ軍はフランス製軍用車輌の接収と自軍への配備を進めました。105馬力の4気筒ガソリンエンジンと4輪駆動による優れた機動力を備え、砲塔に25mm戦車砲と7.5mm機関銃を搭載した4輪装甲車AMD35もその1台です。ドイツ軍は接収した約200輌のAMD35にP204(f)の制式名を与え、そのうち43輌を鉄輪式の鉄道装甲車に改修。その多くには無線機と大型フレームアンテナが追加装備されました。主に東部戦線に配備された鉄道装甲車P204(f)は、物資補給を支えていた鉄道路線の防衛に奮戦。パルチザンやソ連軍の破壊活動から前線部隊の生命線を守るため、大戦終結まで鉄路での強行偵察や索敵、線路状況のパトロールなどに力を発揮しました。 |
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【 フランス軍の先進的な装甲車 】 第二次大戦前にフランスのパナール社が開発を進め、1934年にフランス陸軍が制式採用した4輪の索敵用装甲車がAMD35です。車体や砲塔は平面の装甲板をリベット接合したもので、乗員は4名。車体の前後に操縦席を備え、105馬力のガソリンエンジンにより最高速度は72km/h。主砲として25mm戦車砲を搭載していました。生産途中から砲塔上面の視察装置を新型のペリスコープに換装、車長用ハッチに換気装置が追加され、車体右側の排気管にはマフラーが装着されました。1940年5月のドイツ軍によるフランス侵攻時には約360輌が配備され偵察任務に大きな働きを見せました。また対戦したドイツ軍もAMD35の優れた性能に着目し、捕獲後すぐに国籍マークを描き換えて自軍の車輌として使用しました。 |
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【 フランス生まれの個性派トラック 】1939年にフランスが開発に着手し、1940年6月のフランス降伏後にドイツ軍が開発を継続、自軍用として配備したのが3.5トントラックAHNです。ボンネットを持たないキャブオーバー式の車体が大きな特徴でした。軽量・頑丈で量産性に優れ、75馬力の6気筒エンジンを搭載。1941年から1944年までに約4,000輌が生産され、ロシアやイタリアなど幅広い戦線で兵員や物資の輸送、火砲の牽引などに多用されました。 【 3.7cm対空機関砲37型について 】第二次大戦中のドイツ軍を代表する対空火器の一つが3.7cm対空機関砲37型です。6発クリップ弾倉を使用して最大発射速度は毎分160発という性能を備え、連合軍の攻撃機に対して威力を発揮。空軍高射砲部隊などに配備された37型は東西両戦線で対空防御に大きな働きを見せました。 |
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【 北アフリカ戦線の対戦車砲陣地を再現 】 1941年6月に始まった独ソ戦初期、快進撃を続けるドイツ軍は大量の軍事物資や兵器をソ連軍から捕獲。その中には1,000門以上の7.62cm野砲F22も含まれていました。T34やKV-1など強力なソ連軍戦車に悩まされていたドイツ軍は、F22をより貫通力の高い対戦車砲に改造、Pak36(r)として制式採用したのです。その威力は徹甲弾Pz.gr.39を使用した場合で、角度60度・厚さ98mmの装甲板を500mの距離から貫通できました。Pak36(r)はロシア戦線はもとより遠く北アフリカ戦線にも送られ、イギリス軍マチルダ戦車を数多く撃破するなどアフリカ軍団の危機を度々救う活躍を見せています。またPak36(r)は対戦車自走砲マーダーIIIなどの主砲としても搭載されました。 |
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【 火力と機動力を生かして活躍した動く迫撃砲陣地 】 ハーフトラックのすぐれた路外性能に注目したアメリカ陸軍は、1920年代の後半からその研究を始め、第二次大戦において陸軍の機械化が重要・緊急な課題となるとM2やM3系列など大戦中に4万台以上のハーフトラックを生産。またそのハーフトラックのシャーシを利用して各種の火器を搭載した自走砲も大量に生産しました。1943年6月に制式化されたM21モーターキャリヤーもその一つです。M3ハーフトラックのシャーシを流用し、オープントップの戦闘室に81mm迫撃砲を搭載。この迫撃砲の脚架が戦闘室床面のレール上に置かれ、左右60度の射角を持ち車上から直接射撃できることがM21の特徴でした。その他12.7mmブローニング重機関銃を装備、またバズーカ砲や多数の砲弾、地雷などを携行。まさに動く迫撃砲陣地といえるもので、その火力と機動力を生かして沖縄戦などに活躍。さらに大戦後も1960年頃まで訓練用として長く使われたのです。 |
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【 切れ味鋭い肉切り包丁 】 航空兵力の進歩と機械化による地上部隊の機動力向上は第二次世界大戦の戦闘を大きく変化させました。そんな中で航空機による地上攻撃に対抗した対空兵器も各種開発され、迫り来る航空機との間で激しい戦いを繰り広げました。アメリカ軍が第二次世界大戦中装備した自走対空機銃のひとつがM16です。1942年から43年にかけて生産されました。M3ハーフトラックのシャーシを流用した車体に50口径(12.7mm)ブローニング重機関銃の4連装を搭載。毎分450~555発の発射速度を持ち、初速893m/s、最大射程6767mの威力を誇るブローニングを4連装した威力はすさまじく、「肉切り包丁」のニックネームがつけられたと言われています。銃架はM45型、360度旋回、俯角-10度、仰角90度、旋回俯仰共に毎秒60度の性能を持った電動式でした。対空射撃の威力ばかりでなく4連装は地上目標に対しても大きな威力を発揮。第二次世界大戦後の朝鮮戦争においても活躍、陸上自衛隊に配備されていたこともありました。 |
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【 アメリカ軍ハーフトラックの集大成 】 アメリカ陸軍では、その路外性能の高さに注目して1920年代後半からハーフトラックの研究を行っていましたが、第二次大戦が始まり、陸軍の機械化が重要・緊急な課題となると、初の制式車輌となったM2ハーフトラックを皮切りにM3、M3A1など、大戦中に4万台以上を量産。連合軍地上軍の機動力を大幅に高めることになりました。ハーフトラックM3A2は、これら一連のハーフトラックの実戦における経験をすべて取り入れて開発された総決算ともいうべき最終生産型です。車体は表面硬化型装甲板を使用したオープントップ型で、最大定員は完全武装の兵士12名。エンジンは出力143馬力のホワイト社製直列6気筒ガソリンエンジンで最高速度72km/h。アメリカ製ハーフトラックに共通した全体をゴムでカバーした履帯を装備し、優れたサスペンション、前輪も駆動することなどがあいまって良好な走行性能、路外性能を発揮。兵員、物資の輸送を主とした多用途車として1943年末から実戦に投入され、大戦の終結まで各地の戦場で奮戦しました。パーソナルキャリヤー(兵員輸送車)の他に各種の自走砲なども開発され、多数が生産されています。さらに、大戦後は日本の自衛隊をはじめ世界各国で使われ、1970年代にも現役で働き続ける車輌があったのです。 |
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【 立ちはだかる高い壁、“怪物”の凄みが伝わる 】 1939年12月、ソ連軍は次世代の主力重戦車として、ディーゼルエンジンやトーションバーサスペンションなど、近代的な装備を多く取り入れたKV-1を制式化しました。このKV-1の攻撃力をさらに高めた陣地突破用の重戦車がKV-2です。車体はKV-1をベースに、主砲を76.2mm砲から巨大な152mm榴弾砲に換装。内部のスペースを確保するため、砲塔は極めて背の高い箱形となりました。軍への引き渡しは1940年7月に始まり、200輌余りが完成。1941年6月のドイツ軍侵攻を迎え撃ったKV-2は、過大な車重による故障などのトラブルに悩まされながらも、一部の車輌は頑強な防御力と152mm榴弾砲の威力を存分に活かして孤軍奮闘。快進撃を続けるドイツ軍部隊の前に立ちはだかり、反撃の準備が整うまでの重要な戦力となったのです。 |
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【 俊足で名を馳せた対戦車戦の急先鋒 】 第二次大戦中、タイガーやパンサーなどの強力なドイツ軍戦車に対抗するべく、アメリカ陸軍が開発した駆逐戦車がM18ヘルキャットです。索敵力を重視したオープントップの砲塔に、高威力の76mm戦車砲を装備。砲塔内のスペース確保のため、主砲装填部は砲身を軸に45度回転した状態でレイアウトされました。また、コンパクトな車体は軽量化が追求され、オートマチックトランスミッションや、アメリカ戦車では初となるトーションバーサスペンションなども導入。車体後部に搭載した星形9気筒ガソリンエンジンにより80km/hを超える最高速度を発揮し、第二次大戦における装軌式車輌の中で最速を誇りました。ヘルキャットの生産は1943年7月に始まり、1944年のイタリア戦線で初陣を迎えます。その後は北西ヨーロッパや太平洋戦線にも出動し、高速性能と火力を活かしたヒット&アウェイ戦法でドイツ戦車を次々に撃破。対戦車戦闘の急先鋒として、アメリカ軍の勝利に貢献したのです。 |
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【 北アフリカに響く長砲身の轟音 】 第二次大戦の緒戦から終戦まで戦い、ドイツ兵士から信頼を集めたIV号戦車。その中でも、ソ連侵攻作戦で遭遇したT-34などの強力な戦車に立ち向かうため、長砲身7.5cm砲を初めて装備したのがG型です。生産は1942年3月から1943年6月にかけて行われ、総生産数は1,930輌。装備には生産時期によって差異があり、初期生産車は後期型に比べて砲身長が40cmほど短く、丸みを帯びたマズルブレーキを装備しているのが主な特徴でした。東部戦線やアフリカ戦線で期待の戦力として迎えられたG型は、高い装甲貫徹力と長射程でソ連、イギリス両軍の戦車に対抗。特に、ロンメル率いるアフリカ軍団の車輌は、イギリス軍から「Mk.IVスペシャル」と呼ばれ恐れられたのです。 |










