1/24 スポーツカーシリーズ No.300
1/24 NISSAN GT-R
1/24 SCALE NISSAN GT-R4,180円(本体価格3,800円)
始まりは1969年5月のJAFグランプリレース。この年の2月に発売されたばかりのニッサン スカイラインGT-R(PCG10型)のレース仕様車が見事にデビューウインを飾り、GT-R最強伝説の最初の幕が切って落とされました。端正な4ドアセダンのボディに搭載されたエンジンは、ニッサンのプロトタイプレーシングカーR380の心臓をデチューンした、S20型と呼ばれる排気量2000ccの直列6気筒4バルブDOHC。このときからGT-Rはレースに勝つべくして作られたマシンだったのです。初戦を制したGT-Rは、この年10月の日本グランプリレースで表彰台を独占。早くもその強さを証明して見せます。翌1970年10月、4ドアセダンに比べて全高が低く、ホイールベースを70mm短縮して運動性能を高めた2ドアハードトップ(KPGC10型)が発売されると、レースのベース車両もこの2ドアタイプにスイッチ。それ以降も破竹の勢いで連戦連勝を重ね、瞬く間に49連勝を達成。50連勝の記録は1971年12月の富士TT500マイルレースでマツダ・サバンナに阻止されるものの、翌年3月の富士グランチャンピオンシリーズの開幕戦で雪辱を果たし、50勝の記録を打ち立てたのです。その後、自動車の排気ガスによる大気汚染問題やオイルショックなどにより、ニッサンのレース活動が縮小。GT-Rもレースの表舞台から姿を消すことになってしまったのです。
〜海を渡り、カテゴリーを超えた第2章〜
けれども、GT-Rの最強伝説は終焉したわけではありませんでした。最強伝説の第2章が、1990年3月の全日本ツーリングカー選手権の開幕戦西日本から始まったのです。16年ぶりにGT-Rを名乗った2代目BNR32型が前年の5月にデビュー。排気量2600ccの直列6気筒DOHC4バルブエンジンを2基のターボで過給し、さらに電子制御による4輪駆動を採用した、当時のグループAレースを制覇するために生まれたマシンとしてよみがえったのです。カルソニックブルーに身を包んだR32GT-Rは開幕戦の西日本サーキットでポール・ツー・ウインを飾ったばかりか、それまでのコースレコードを約2秒短縮し、さらに全車を周回遅れにするという圧倒的強さを発揮。この年、リーボックカラーを加えた2台のGT-Rが全6戦中すべてでポール&優勝という完全制覇を成し遂げたのです。その後も全日本ツーリングカーレースはGT-Rが席巻、1993年のシーズン終了までに無敵の29連勝を達成したのです。 また、GT-Rはその活躍の場を海外にも広げ、1990年11月にはグループAマシンによるマカオグランプリ・ギアレースをカストロールスカイラインが制覇。1990年7月にはスパ・フランコルシャン24時間レースにも参戦し、FISA-Nクラスの表彰台を独占。さらに、翌年は日産ワークスが送り込んだグループA仕様のZEXELスカイラインが国産車初の総合優勝を果たしたのです。
2代目GT-RのR32型は、BCNR33型(1995年1月発売)、BNR34型(1999年1月)と進化を続け、レースでも強さを発揮。1994年からは活躍の場を全日本GT選手権に移し、2年連続でカルソニックスカイライン(R32)がチャンピオンマシンとなり、1998年、1999年はペンズオイル・ニスモGT-R(R33/R34)、2003年はザナヴィニスモGT-R(R34)がチャンピオンを獲得。2004年からは市販車の生産終了を機に、フェアレディZがその後を引き継いだのです。 また、GTマシンに比べて改造範囲が狭く、市販車の性能がそのまま反映されるN1マシンによる耐久レースにも多くのプライベートチームがGT-Rで参戦。1992年から1995年まで全戦全勝、さらに1998年から始まったスーパー耐久レースでも勝利を重ね、耐久レースでは90連勝の大記録を達成したのです。
〜新たな伝説の始まり〜
そして、2007年12月、5年ぶりに新たなGT-Rが誕生しました。その名もNISSAN GT-R。これまではスカイラインを高度にチューンナップして仕上げられた車でしたが、新生なったGT-Rからはスカイラインの名が外され、シャーシからエンジンまで専用開発となったのです。3代目となるこのGT-Rは、早くもレースに参戦。2008年のスーパーGT開幕戦鈴鹿では1、2フィニッシュ。続く第2戦岡山でもGT-Rは1、2位を独占し、最強伝説の第3章が鮮やかに幕を開けたのです。