【 マレー沖海戦について 】 イギリス海軍の戦艦プリンス・オブ・ウェールズは本国を出港し、1941年12月2日に巡洋戦艦レパルスと共にシンガポールへ進出しました。イギリスはシンガポールの要塞化を図り、さらに新鋭戦艦を配置して日本の動きを牽制するつもりだったのです。しかし、12月8日未明の日本軍の真珠湾攻撃を口火に太平洋戦争が勃発。同日決行された日本軍のマレー上陸の一報を受けて、夕刻、フィリップス提督に率いられたプリンス・オブ・ウェールズ、レパルス、駆逐艦エレクトラ、エキスプレス、テネドス、ヴァンパイアからなるイギリス東洋艦隊がシンガポールを出港したのです。

翌9日は雲が低くたれこめ、しばしばスコールもあるという隠密行動にはもってこいの天候。ところが、夕刻になると雨雲も晴れ、さらに日本の水上偵察機に発見されてしまったため作戦の強行をあきらめ、まず燃料の不足してきたテネドスをシンガポールに帰し、さらに午後10時頃に艦隊を反転させたのです。しかし、夜半になってクアンタンに日本軍が上陸を開始したという情報が入ったため、夜明けを待ってクアンタンの状況を偵察し、日本船団を攻撃する作戦を立てました。ところが、これはまったくの誤報だったのです。このため当初の計画通りシンガポールへの帰路を急いだのですが、この10日、すでに日本海軍航空隊の攻撃隊は基地を飛び立ち、すぐに攻撃にかかれる態勢をとっていたのです。午前11時45分、艦隊の上空に1機の索敵機が姿を現し、その1時間後には攻撃隊が姿を見せました。午後0時45分、美幌航空隊のレパルス爆撃によって攻撃は開始されました。レパルスは爆弾1発を受けたものの、右舷に旋回して魚雷をすべて回避。しかし甚大な被害を受けたプリンス・オブ・ウェールズを救助するため接近したところに、鹿屋航空隊の一式陸攻から放たれた魚雷が命中。午後2時3分、ついにその姿を海中に没したのです。

一方、元山航空隊の九六式陸攻9機の攻撃により左舷の煙突後方と艦尾に1本ずつの魚雷を受けたプリンス・オブ・ウェールズは左に傾斜し、速力は30ノットから15ノットに低下。さらに午後1時50分、鹿屋航空隊の6機の一式陸攻が攻撃開始。これにより右舷艦首近くに3本、艦尾に2本の魚雷を受けたものの15ノットで航行を続け、盛んに対空砲火で応戦を続けたのです。しかし、午後2時3分に始まった美幌航空隊の九六式陸攻8機の水平爆撃により、500kg爆弾が後部艦橋右側に命中、左舷艦尾にも至近弾を受けたプリンス・オブ・ウェールズは午後2時50分に大爆発を起こして艦尾から波間に消え、フィリップス提督も艦と運命を共にしました。戦闘終了後、駆逐艦エレクトラとエキスプレス、ヴァンパイアによって数多くの生存者が救助されています。こうしてマレー沖海戦でその生涯を終えたプリンス・オブ・ウェールズとレパルスは、航空攻撃のみで撃沈された史上初の主力艦として、皮肉にも戦史にその名を刻むことになったのです。
|